ポピュラーミュージックセラピー体験告白
〜岡田ユキさんと私〜


山本佐和子(仮称)

私は、岡田ユキさんと出会うまでは気付けなかった自分の恥の部分と、それらを克服して向き合えるようになったキッカケをお話することにより、世の中の過去の私と同じように苦しむ人たちに、何らかのポジティブなキッカケを与えられたら----という思いから、自分の体験を告白することにしました。

約3年前、岡田ユキさんと出会うまでの私は、社会人として働くこともままならない状態でした。
いつも人目ばかり気にしてビクビクとし、電車に乗ることも出来ず、明け方まで起きては睡眠薬を飲んで昼間寝て、食事が気に入らないとといっては、親を殴り、体調が悪いといっては親から治療費をもらって病院に行き、遊びに行く時や食事はすべて彼氏が負担している状態でした。週に一度は原因不明の熱を出し、それを働かない理由にしていました。

当時の私は、自分で自分を病気に追いやっていたのでした。そして、周囲の家族や友人に甘えることで自分自身を自立させることから逃げていました。
私は当時シンガーを目指してボイストレーニングに通っていました。その月謝も彼氏が支払っていたような状態でした。

そのミュージックスクールで私を指導して下さっていた学長からもらった地方のディナーショーの前座の仕事でメインボーカルだった岡田ユキさんと知り合いました。学長は、私への期待からか彼のストレスを強い口調で私に投げかけていました。今、思えば私がいつもストレスの原因や人間関係をかき乱す要因をつくるトラブルメーカーであったのです。しかし、それに気付かない私はその強い口調を聞き一層疑心暗鬼になり、症状が悪化するという、絵にかいたような悪循環に陥りました。そこへ、思い悩んだ学長が岡田ユキさんに相談したところから私と岡田ユキさんの関係が始まったのです。

岡田ユキさんは、学長からの連絡を受けすぐに私に連絡をくれました。私のために時間を割き、私の言い分や当時の夢であったプロのシンガーになりたいという気持ちを受けとめてくれ、それらの実践に向けて私と一緒に考えてくれました。
また、その夢の実現のためにまずは実践の場を----ということで、約半年間彼女のステージの前座に私を立たせてくれました。一口で「前座で歌わせる」といっても、実際ステージの上での責任はすべてメインボーカルである岡田ユキさんにあります。私をステージに立たせることは、彼女にとっても相当のリスクがあった事と思います。
しかし、彼女は一切それを口にはせず、それまでの趣味の世界とは全く違う「仕事として歌う」体験を私に与えてくれました。

そこで、私は「趣味」と「仕事」の大きな違いがあることを知ります。また、プロのシンガーが華やかなステージに立ち、それを成功させるまでには、それまでの自分には想像もつかなかった多くの厳しい現実があることも知りました。
そんな単純なことでも、言葉で説明されることでなく、体験をさせることで私に気付かせてくれたユキさんの思いには今では感謝するとともに「体験」からくる納得は、何ものにも変えられない直接的かつ衝撃的なものでした。

また、岡田ユキさんは私に発声法も教えてくれました。彼女の発声は、私がいままで習ってきたものとは異なり、おなかの底から体全体に響かせるというものでした。それは、私にとって、とても心地よく、またスクールでは「低い」と言われていた私の音域が、岡田ユキさんの発声法ではむしろ「高く、音域も広い」ことが解りました。
それをキッカケに、私は自分自身に少しづつ自信を持ち始め、彼女に徐々に心を開き感情を投げかけるようになりました。

そういった岡田ユキさんとの音楽を交えての心のキャッチボールを続けていく中、私の中で「自分の進むべき道は必ずしもプロのシンガーでない」という気持ちが芽生え始めました。

親や親友・恋人・・・・。身近で関わりの深い人たちが私をあきらめ、ただ黙認するといった悪循環を繰り返すなか、ユキさんだけは、私との信頼関係を深めるために、勝手放題な私の言い分を否定せずに全て聞いてくれ、自信を持たせてくれました。

いまになって振り返ると、周囲の人たちにとって私は「腫れ物」だったのです。そんな状況の中、ユキさんは私に、まっすぐに現実と向き合うことをひとつづつ、手取り足取り教えてくれました。
当たり前なことでもある生活習慣の基礎から、物事の捉え方を一から教えてくれました。そして、失敗すると私にわかりやすいように時間をかけて、原因と反省点を説いてくれました。当時の私は、それですら自らを否定されたと思い込み、彼女のことを「意地悪」だと思い込んでいた時期もありました。今、思えばとてつもなく恥ずかしい話ですが、どんな時でもユキさんだけは私をあきらめずに、時には厳しく時には優しく私を励まし続けてくれたのです。

その後、岡田ユキさんのカウンセリングの結果、私は自立でき保育士の仕事に就きました。そこで、様々な家庭と家庭環境をみてきました。それらと自分の育った環境を照らし合わせたとき、私は自分自身のたどった人生の中に「現代社会の縮図」がある気がしてなりませんでした。
そう、現代社会には子を叱ることを恐れる親が多いことと同時に、親の意見を受け入れられない子供も増えてきているのが現状です。これは、偏ったとらえかたかもしれませんが、これらの環境から悪循環となり、過去の私のように周囲の人を苦しめる人間が生まれ、それが歪みとなって強いてはエスカレートして犯罪に至るというケースもありうると私は思っています。

ここで、簡単に私の育った家庭環境をお話しましょう。

私は東京の下町に、一周り近く歳の離れた姉との2人姉妹の次女として生まれました。
父は工務店を営み、姉が生まれた頃には商売においてもこれからという所でしたが、私が生まれた頃には経済的には右肩上がりで、父はサイドビジネスも持ち、家には数十名の従業員たちが出入りをしては私を構い、私が望まなくてもご機嫌取りに、他人や両親が色々なものを常に私に与えてくれました。
また、私が何か気に入らなかったり、淋しくて泣けば、いつも誰かが私を構ってくれる・・・・といった幼少期でした。

しかし、バブルが弾け、家業もそのあおりを受けて徐々に下火となり、現在家こそ残っているものの、父はタクシー運転手・母は近くの会社にパートに出掛ける・・・・・このような生活に一変しました。
当然、子供の私にとって両親の心労など気付けるはずもなく、それまでと同じように様々なことを求めますが、両親は将来の生活に不安を抱き、私を構う余裕はない・・・・まさに現代の崩れゆく家庭環境そのものの渦の中にいたのです。

高度成長により豊かな生活になり、バブルにより一度贅沢を味わってしまった人間が生活レベルを落すことは、並大抵ではなかったのです。同時に、甘え育った人間が自立することも非常に難しいことでした。
本当の両親ですら、私に投げかける言葉が見つからず、腫れ物にさわる状態を続けてたがゆえ、私の甘えからくる様々なことが悪循環を繰り返し、前述のような状態にまで陥っていったのです。

しかし、岡田ユキさんの育った環境を彼女の著書「みにくいあひるの子供たち」で知り、現在の岡田ユキさんの生活を垣間見た時、いままでは自分ひとりが、理解されずに苦しい思いをしていると勘違いし、ワガママ放題のいままでの自分が実は如何に幸せだったかを感じることが出来るようになりました。
世の中には、私のような環境に置かれている人が、実はたくさんいるように思いました。では、その状況を誰が救えるのか?それが、私にとっては岡田ユキさんとの出会いであり、ポピュラーミュージックセラピーだったのです。

身内の忠告では、気付くことができなかったどころか、理解されずに不幸だとさえ思っていた自分の環境を、一歩外に出た信頼のおける他人の愛情=岡田ユキさんによって客観的に捉えることが出来たのかもしれません。親でも恋人でも姉妹でもなく、信頼関係を築き上げる人間が、ひとりの人間として対等に、まっすぐに向き合ってくれたからこそ、私は乗り越えることが出来たのです。

岡田ユキさんの著書「みにくいあひるの子供たち」を読まれた方々の感想やお手紙を見せていただきました。
岡田ユキさんのような、いわゆる「心の障害者」タイプの人間は精神的にも強く、様々な問題を一人で乗り越え自立されており、彼女の著書によって勇気付けられ、ユキさんのように「乗り越えます!」といって内容が寄せられていました。
しかし、悲しいことに私のような、おとなに成り切れない(=自立できない)いわゆる「子となチャン」タイプは、現実を直視出来ずに、いつも人のせいにして甘え、助けを求めるのです。

一経験者として、この時代に生きる私と同世代の人たちに、過去の私のようなケースは大勢いて、残念ながら、そうであることすら気付かずにいるケースが多いように、自分の周囲の人たちを見て実感させられます。

こんな世の中だからこそ、岡田ユキさんの存在を広める必要があるように私は思います。音楽を通じて、違和感なく心の中に呼びかけ私に気付きを与えてくれた彼女の「ポピュラーミュージックセラピー」の精神は、きっと多くの人々の心の中に小さな風穴を開けるように思います。
親子関係・兄弟関係・家庭関係・交友関係・人間関係・・・・・・強いては社会全体にボジティブな影響を与えることが出来るのではないでしょうか。

少なくとも、岡田ユキさんの「ポピュラーミュージックセラピー」は、私のこころの中に風穴を開け、自分で自分をきちんと見つめられるようになり、通常の生活を、当たり前を当たり前と捉えられるようになりました。
今は電車にも乗れますし、睡眠薬も不必要となりました。
人間として、ごく普通の生活を送れるようになった今、心から岡田ユキさんに感謝しております。
精神科医からは、くすりの処方をされるだけに、何の進展もなかった私は、もっと早くにユキさんと出会えていたら・・・・・と思う事もあります。しかし、これも「縁」なのかもしれません。

私がプロのシンガーを目指していなかったら・・・・・・・。
あのミュージックスクールを選ばなかったら・・・・・。
岡田ユキさんの前座の仕事がなかったら・・・・・。

今もあの苦しみの渦の中にいたかもしれません。

もし、今この文章をご覧になっている方で、悩みをかかえている人がいるとすれば、これも「縁」だと思います。
どうぞ、ひとりで悩まずに「ポピュラーミュージックセラピー」の扉をあなた自身で開く勇気を持ってください。
きっと、その先には新しい自分に出会えると私は信じています。体験した私だからこそ、言える言葉です。

最後に、岡田ユキさんの益々のご活躍を心よりお祈りしております。
本当に、本当に・・・・・ありがとうございました!