京都市教育委員会 ●●様 先日はお電話ありがとうございました。 私は、東京のNPO団体で児童虐待防止の市民活動団体 サークルダルメシアンの、代表岡田ユキと申します。 日々悲しい事件がおこり報道を聞くたびに、大変心が痛みます。 特に寝屋川の事件に関しては、もう少し早く私がこのような行動を起こしていたら 防ぐ事も出来たのでは?と思うと、非常に残念でなりません。 そこで皆さんに私たちの活動や体験事例で得た3つの事に気付いていただき、 理解していただけましたら少しは、学校に通ってくる子ども達やその親との 間が埋まり、本来の教育の場所として、 先生のお役に立てるのではと、考えた次第です。 @「虐待に対する正しい知識」 A「少子化による現代の子育てのゆがみ」 B「本当の意味で、子どもを甘やかす事とは」 この3点を正しく理解してくだされば、教育の現場もかなり違ってきます。 そしてこれらの事を理解していただいた上で、京都市教育委員会の皆様に 是非、協力して頂きたいことがございます。 @「被虐待の度合いと虐待の種類」 多くの相談窓口や人との関わりの中で耳にするのは、 「人間だから100%完ぺきな事は出来ないでしょう?」この言葉です。 しかし虐待のサバイバーや被虐児童は、幼少期から 親に100%の事を要求され、それが出来て当たり前で、 なおかつ200%が達成出来ない事を理由に、 過酷な虐待を受けて育っています。 またその虐待は「生と死」を分けるような壮絶なものですから、 必死で200%を達成しょうと努力するのです。 そして彼らは、自分の生き方が間違っているのか?正しいのか? と言う事を誰かに教えて欲しいと思っているから悩むのです。 本来はその誰かは親のはずなのですが、 彼らの家庭にはその機能がありません。 だから苦しいのです。 幼少期から生きるために自然に身についた達成度の努力の違いが、 「被虐待の度合いと虐待の種類の違い」だと考えてください。 そしてその違いが、 虐待という問題の理解を難解にしているのです。 それともう一つ、AC(アダルトチルドレン)と言う言葉がありますが、 この言葉に虐待の研究者や専門家と呼ばれる人たちが惑わされています。 ACの中には現在「大人なのに子ども」と、幼少期「子どもだけど大人」がいます。 大人子どもの場合、自分ひとりでは50%しか出来ないと思い込んでいるために、 身内や他人に助けを求めます。 子ども大人の場合、前述でご説明したように200%の事を自力で 成し遂げようとするために、無理が生じて心が追い込まれ、 その結果「自分は人間としての価値がないと」思い込んでいます。 「自分はいったい誰なのか?」と常に追い求め、 答えが見つからず苦しんでいるのです。 つまり大人子どもには、自立が必要であり、 子ども大人には自信を与える事が必要なのです。 ところが相談の窓口の大半が、100%の達成度で満足する人間や、 大人子ども (50%の達成度で満足)が多いため、 大人子どもにまで自信を持たせて甘えさせてしまいます。 その結果いつまでたっても大人子どもは、自立できないのです。 さらに、人は誰しも自分達の体験からでしか物が言えないために、 子ども大人(200%を達成しても気づけない)を理解出来ずに終わってしまいます。 それが虐待の問題を防げない、原因の根本だと私は考えております。 しかし一人でもこの200%のタイプに気付き、 自信を与える事が出来たなら子ども大人は、 本来の200%を達成する力を発揮して 多くの人を助けることが出来る貴重な人材に、生まれ変われるのです。 A「少子化による現代の子育てのゆがみ」 現在子育てをしている親の年代は、私を含めて1960年前後生まれです。 私たちの幼少期は、ちょうど少子化世代により家庭内で 「支配する側、される側」の関係が、築かれ始め、 子育てに対しても行政機関のように縦割りの関係を生んでしまったのです。 同時に核家族化が進み、家庭と学校、塾、隣近所、他の連携が無くなりました。 そしてそれぞれの大人が子どもに何か問題が起これば、 自分の責任ではなく、他人に押し付け、 子育ての責任を逃れようとする傾向が強まっています。 そんな事が重なり、いつしか大人が子育てに責任を持たなくて済むように、 子育てをマニュアル化していきました。 結果マニュアルによる厳しく、画一的な「しつけ」をされてきました。 そんな子ども達が現在親になり、 今では自分達の幼少期以上に「厳しいしつけ」 を子ども達に押し付けてしまっています。 「しつけ」のつもりが完全に、「虐待」に変わっています。 その後遺症として、不登校、家庭内暴力、引きこもり、 リストカット、少年犯罪、薬物等の依存症、DV、・・・・他 多くの社会現象が作り出されているのが現状です。 結果誰もが疑わずに行っていた「しつけ」そのものが、 現在「虐待」と呼ばれているものなのです。 最近は、優等生を演じ続けてきたいわゆる、 模範児童が引き起こす事件が増えています。 幼少期「厳しいしつけ」により優等生を演じることによって、 親の愛情を得ようと努力してきた現在の大人と、 現在の「厳しいしつけ」により優等生を演じ続けて、 親の愛情を得ようとしている子ども達が、 優等生を演じても親の愛は得ることが出来ないと悟ったとき、 周囲の人間が驚くような行動をとって、 多くの悲惨な事件を引き起こしています。                 このタイプもしつけと言う「重度の虐待」を受けた被害者達です。 このように日本人は、「虐待」に対する認識が間違っていたために、 多くの犯罪者を「しつけ」によって作り出していたのです。 B「本当の意味で、子どもを甘やかす事とは」 幼少期に親や身近な大人から、こんな言葉をよく言われませんでしたか? 「あなた達はいいわよね!食べるものに困らなくて、好き勝手なことが出来て! 私たちの時代は、欲しがりません勝つまでは、だったんだから・・・」 私たちの親世代のこの言葉による嫉妬心の裏返しが、 「厳しいしつけ」を生み出して来ており、 その反面、自分が苦しかったから、可愛い可愛いと間違った愛情をかけすぎ、 いつまでたっても自立できない大人を作り出してしまったと、私は考えています。 確かに今の日本の平和は、私たち親の世代の犠牲もあったから成り立っていて 大変感謝しております。 しかし、だからと言って彼らの被虐体験を「親子連鎖」されても困るのです。 本来親が子どもを甘やかすとは、子どもの「心が満ちること」なのです。 幼い子どもにとって一番大切な事は、親に「甘えること」なのです。 本当の意味で「甘える」事とは、心が正しく理解され、受け止められることにより、 満たされることなのです。 それは、子どもと親の関係もあれば、夫婦や恋人、上司と部下、 友人関係や飼い主とペットなどあらゆる人間関係の基本でもあります。 そして「心理的に満たされること」により関係がより良く発展し、 信頼や絆が生まれてくるのです。 ですが私たちの親の世代は戦争体験によりすでに重度のPTSDを抱え、 何のカウンセリングも受けずに私たちを産み、育ててきました。 その意味では、@の200%のタイプなのでしょう。 という事は、私たちが育ててもらった「親自身」 「自分はいったい誰なのか?」と常に追い求め、 答えが見つからず苦しんでいたのでしょう。 その親世代に育てられてきた私たち世代はそれ以上に、 「自分はいったい誰なのか?」と常に追い求め、 答えが見つからず苦しんでいてもおかしくはないのです。 そしてそんな私たち世代に育てられている現代の子ども達は、 私たち以上に、「自分はいったい誰なのか?」と常に追い求め、 答えが見つからず苦しんでいる事でしょう。 人間の心は親や他人から優しくされると無意識に、 自分もその相手に優しく接しています。 このように楽しいこと嬉しいことはすぐに貰った相手に返せるのですが、 悲しい事、悔しいことは不思議にも自分より強い人間から貰います。 本来なら直接相手に返したいのですが、自分よりも強い相手なので、 「勇気」の力を借りなくては返せないわけです。 ですが勇気を使うにはかなりのパワーが必要になります。 でも「この思いは心に留めておけない」と、 無意識に葛藤が心の中で実は起こっているのです。 ですから少しでも吐き出そうと、身近なところの弱い相手を見つけて返すわけです。 しかし強い相手から受けたものを、弱い相手に向けても100%の解消はなく、 その残りは「ストレス」として心の中に 備蓄されていくのです。 そして、心が満たされなくなってしまうのです。 またその思いは決して物質では満たされないのです。 この3つの事を理解していただければ、虐待の予防は出来ると私は考えております。 次に私たちからのお願いの件ですが、 簡単にご説明させていただきますと、私の実の兄は京都市で教員をしている ●●●(音楽)と申します。 同封させて頂きました「虐待死をまぬがれて」にも書きましたように私は、 幼少期その兄に性的虐待を受け、また実の家族に重度の虐待を受けて育った 虐待のサバイバーです。 私自身シングルマザーとして子育ても体験し、同時にカウンセラーや音楽療法家としても 多くの苦しんでいる人間を立ち直らせて来ました。 そのような体験や研究から、私自身は実家の家族関係において整理も付き、 交流が途絶えたままでも何の支障はないのですが、 前述の200%のタイプで乗り越え活動している人間が日本では私しかおらず、 実の家族との間において行政や関係機関の介入を得て、 和解が出来ると言う事例を作らなければいけなくなりました。 なぜなら、失敗をしても責任を取ることが出来れば「許される」という事、 だから「殺人を犯さなくても問題は解決する」という事を、 多くの人間に知ってもらう事が必要だからです。 ひいては、現在日本で頻繁に起こっている犯罪の防止に繋がるからです。 また兄(●●●)も、教師としてプロフェッショナルな仕事をしているわけですから、 過去の私との事件や、体験を糧とすることで「心の幅も広がり」、 同じような体験を持つ多くの子ども達の気持ちを理解する事が出来て、 「救ってくれるのでは」との期待もあります。 昨年より池田小事件の元死刑囚、宅間守の心理鑑定をされた、 東海女子大学の長谷川博一教授と共に、活動させていただいております。 多くの悲しい事件の背景にあるのは、親兄弟に向けられない憎しみを、 他人に向けてしまうということです。 そのために、無関係な人間が命をおとしています。 このような悪循環は一日も早く食い止めなければいけません。 そのような訳で、 京都市教育委員会の皆様のお力をお借りして、 兄との対面の機会をセッテイングしていただければと思い、 お願い申し上げたく手紙にしました。 またこの手紙自体が、サークルダルメシアンの一つの活動事例にもなっております。 願いを聞き届けていただけない場合は、 文書での回答をいただければ嬉しく思います。 お手数をお掛け致しますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 2005年3月4日 児童虐待防止の市民活動団体 サークルダルメシアン 代表 岡田ユキ