プロフィール 心の講座 English 作品紹介
新聞記事 ダルメシアンHP ダルメシアンBlog メール
虐待心理研究所 勉強会 CAP専門カウンセラー講座 岡田ユキBlog
メインページへ戻る
 
岡田ユキ

岡田ユキのできること

お話と歌と音楽療法とカウンセリング

対象: 保護者と教育関係者
  中学生・高校生そして若い世代
  母親・父親予備軍
  被虐体験者・虐待防止関係者及び研究者

1.「家庭内におけるマナーの基礎教育」
最低限家庭で教えるべき事までも学校側の責任として、問われてしまう時代です。
家庭でのマナー教育やしつけの基礎が、しっかりと行われていることが前提であり、
その子どもたちに「勉学」を教えるところが学校教育であるということをもう一度、
保護者に認識してもらうための講演です。

2.「いじめって何?その原因と解決法」
親にとって無意識の些細なことが、子どものいじめの原因に繋がることがあります。
親子のそれぞれの毎日を記録することにより、原因を究明し、強い信頼関係を
築いていく過程で解決の糸口が見つかります。

3.「虐待を防ぐ!負の連鎖を断ち切ろう」
虐待とは何か、被虐体験とはどういうことか。自らの体験を元に岡田ユキが独自に開発した、
「岡田式AC判別法」をもとに解明。 
閉ざされた心の扉を開くきっかけを作り、本来の自分らしさを取り戻す解決方法を話します。
虐待に縁のない方も、今の時代、知識として知っておいて頂きたい内容です。

4.「被虐体験者の常識は、一般人の非常識」
虐待を受けて育った子どもは、悪い親の勝手な常識を植えつけられて育っています。
機能不全家庭により、人間関係の築づき方を学べず、人間関係の壊し方を学んでいます。
そして孤独になること、孤独に耐えることを学んでいます。そんな被虐体験者独自のノウハウを多くの人に知っていただけることが犯罪の防止に繋がります。

以下は、カウンセリングを受けたある方の文章(一部抜粋)になります。

★あるカウンセリング事例と私のカウンセリング方法

ユキさんとの出会いは、最初は友達を助けて欲しいという願からでした。
私の親友はリストカットをし、幼少期には父親から理由なく殴られていたそうです。
私の親友の心は今でも深い傷となったままです。
私はそんな彼女を助けたかったのですが、どうすることもできませんでした。
そんな中、友達の話でユキさんの存在を知りました。
ユキさんならば彼女を救ってくれるかもしれない。
そう思い私は友達にユキさんを紹介してもらいました。
ファミリーレストランで初めてユキさんとお会いしたときは、親友の相談をするだけで、
私自身はカウンセリングを受けるつもりはありませんでした。
その頃の私は、「友達は大切な人、だからこそ私も苦しいし彼女を助けたい」と、
他人の苦しみを背負う癖がついていたようです。
ユキさんは友達のことはもちろん、私のこともすごく親身になって聞いてくれました。
私はその優しさと愛情に触れたことで、その場で泣き出してしまいました。
とても温かいものを感じました。
またユキさんと出会って、生まれて初めて私と同じような感受性の強い人に出会いました。
「私以外にも、私と同じように感じる人がこの世にいる」
そして「この人だったら私のことをわかってくれる」そう思えたのです。
そして改めて私がユキさんに、カウンセリングを受けることになりました。

その頃私が抱えていた一番の悩みは友人関係です。
あるアーティストのファンクラブで知り合った友人関係で、悩んでいました。
中でも仲の良かった4人グループの一番年上でリーダー格のAさんとは、私と17歳も離れていました。
最初はよかった人間関係も、時間がたつにつれて自分のなかで金銭感覚や考え方のずれが生じ、ものすごい不安が生まれ始めました。
そしていつからか、彼女達は正しく私は正しくないとう法則を、自分の中で作るようになったのです。
自分のやること全てに、意味のわからない不安を持つようになりました。
(その後のユキさんのカウンセリングで出た答えは「劣等感」でした)
私はAさんに自分の心中を話しました。
あまりに苦しくて助けて欲しかったからです。
ですがAさんの対応は「ちゃんと説明してくれないとわからない!」と、一方的につきかえされ、
深い孤独感が襲いました。
それとそのショックから、不安というよりもう私に対するAさんの言葉や行動が恐怖に変ってゆきました。
年上から見た場合私は、目にあまることが沢山あったのでしょう。
その後Aさんから「普通はこうだ!常識ではこうするんだ!」と、命令や押し付け指導みたいなメールが来るようになりました。
メールを返さないと怒られる、メールを返しても怒られる、そんな繰り返しの日々があり、その結果私は、携帯の音が鳴るだけで身震いがするようになりました。
いっそ壊してしまおうかとも思いますが、なにも変わらないとわかっているので壊すこともできません。
Aさんに嫌われたくない、認められたい、見捨てられたくない、だけど自分を否定しているがゆえに自分の行動が信じられない、どうしていいかわからない状況でした。
だけどそこは、私がやっと得られた大切な居場所として存在しました。
だからこそ、そこでの自分を否定されるということは、自分自身を否定されると感じていました。
「辛いけど離れられない、恐いけど無視できない、逃げられない」
だから道路の真中で立ち止まって動けなかったり階段を上から見つめたりして、苦しみから逃れたい・・・「死にたい」死というものに進んでいる自分がいました。

そんな中、ユキさんにカウンセリングで「母親との関係ってどう?」と、聞かれました。
私は「普通です」と、答えました。
そして一冊のノートに(ユキさんのカウンセリングの必需品で、このノートに書かれていく内容が私の新しいマニュアルになるそうです)
母の不満や嫌いなところ、いいところを分けて書く宿題を貰いました。
書いた結果、自分でもびっくりするくらい母の嫌いな部分が書けて見えてきました。
ユキさんは私自身がなぜそのように感じるのか、一つ一つ説明して私に納得できる答えを面接(カウンセリング)とい形態で私に教えてくれました。
この自分でノートに書き出すというのが岡田式のカウンセリング方法の一つなんです。
自分で書き出すということは、書いたものに対して責任を持つということです。
また、無意識に書き出した思いに自分自身に改めて気づかされるのです。(不思議なことですが?)
しかしユキさんの前では、自分で書くからこそ、自分でなぜこのように書いたか?ということについて逃げずに考えさされるのです。
そんな体験をした私はユキさんから初めて自分の感覚や、感じるままに受け入れることを教えてもらいました。
それまでの私は自分の感覚(感じる)こそが「負の原因」だと思い込んでいました。
だからこそ、何も感じないように、と必死で自分に言い聞かしながら生きていました。
なのにユキさんのカウンセリングはその真逆で、「あなたがが感じるままに思い、考え、行動しなさい」と、いって下さり、私の固まった心がそれによりいっきに楽になりました。
そして正しいこと、間違っていることを一つ一つ説明し納得するまでとことんユキさんは付き合ってくれました。
今振り返るとその作業は、かなり忍耐力のいることだったと思います。
今まで何の疑いもなく親から教わってきた母親自身の常識、母親の今まで生きてきた中で作られた、母親にとって都合の良い「私の生き方マニュアル書」は、ユキさんとのカウンセリングにより分解し、
新たに自分らしく生きられるマニュアルに作りかえる作業をしてもらいました。
これはとても根気のいる作業で、私が納得するまでユキさんが私に話してくれるので、多いときではカウンセリングが5〜6時間以上かかることもあり、そうやって真剣に付き合っていただけるからこそ強い信頼関係をよりいっそう深めることができました。
普通のカウンセリングは、短時間で時間がきたらそこでおしまいで、自分の伝えたいことにたどり着く前に終ってしまうそうです。
カウンセリングを受けた友人からは、そのように聞いていました。
私は自分のマニュアルを作れたおかげで、今までの母親の世界(孤独や孤立)がよく理解でき、母親の人生を客観的にみることができる準備ができました。

そうしてここからがカウンセリングでの次のステップになりました。
一番恐れていた今まで自分が封印していた箱(記憶)を、ユキさんと一緒に開ける作業に入りました。
この箱を開けるという作業は今まで自分が見たくなかったもの、認めたくなかったもの、忘れてしまいたいことが沢山つまっています。
だからとっても恐いんです。
また封印して見えないようにしているから、見えないからこそ実際のこと以上に恐く感じていました。
一人で開けるのはとっても恐いのでユキさんの力を借りて覗いてみると、以外に何の恐怖も感じられず、むしろ安心できたのです。
そして、箱のふたを開ける作業と同時に今度は音楽療法(ユキさん独自の表現すること)がスタートしました。
その音楽療法で、芸術の力を借りて勢いをつけて自分の思いを吐き出す方法を教えてもらいました。
私にとってはその表現方法が「詩」という形がよいとユキさんが導いてくれました。
私は通勤途中の電車の中で、仕事の合間の休憩時間など空いている時間を使って、友達にメールを送るように携帯電話で詩を作っていきました。
そして詩が一つ完成するたびにユキさんに、出来た詩をメールで送っていました。
ユキさんはそのつど「とってもいいからもっと書きなさい」と、何らかのプラスの感想をくれ
「遠慮はいらないからどんどん送りなさい」と、いって私の思いを全て受け止め、自信を与えてくれました。
私は自分が作ったものが他人に読んで貰える喜びと、幸せを貰いました。

その次のステップは、ユキさんから「里離」(さとり)ということを教えてもらいました。
これは「悟り」と同じ意味だそうです。
内容は親から距離的にも精神的にも離れて、
自分で自立するということと、自分自身の責任を明確にすること、そして過去とのけじめをつけることだそうです。
私はカウンセリングを受けていてもまだ実家にいたので、どうしても親の影響を受けてしまいました。
そこでユキさんの愛情のもと、一人暮らしを決意しました。
母に私が家を出ることを告げると、口では賛成すると言いながらも、
嫌がらせや、一人暮らしに対する恐怖心を私に植えつけるようなことばかりいうようになりました。
しかしその誘惑に負けることなく私は、家を出ました。
「世間の人は悪い人ばかり」と聞かされていた他人は、むしろ母よりも私に対して惜しまず多くの愛情をかけてくださいました。
おかげで一人暮らしは、想像していた恐怖は無く快適で、母の愚痴を聞くことなく、毎日が新鮮と驚きの連続で楽しくて、初めて心から「幸せ」を感じられました。

また音楽療法の一環で詩を書く事を教えてもらった時期に、葛飾FMラジオに月1回、ユキさんと一緒に出演させてもらうようになりました。
まったくの素人が月1回でも出演することは本来なら不可能なことなんですが、ユキさんが作られたシステムは素晴らしく、私のような素人でも劣等感を持たずに出演できる
「公開カウンセリング」形式でありのままの自分の思いを語らせてもらいました。
エフエムの局長自らがユキさんの番組のオペレーターを勤められて、私の失敗も局長とユキさんが責任をとってくださるのです。
「この愛情は何なのでしょうか?」本当にありがたいです。
だから私は、2人に迷惑をかけないように努力ができました。
そしてエフエムで自分を語れたとき、本当は自分でも憧れていた世界だったからこそ、自分自身もFMに参加したいために、さらなる努力が出来たのです。
公開カウンセリングの中では母への手紙も朗読させてもらいました。
公共の電波でこのような話をするのはとても勇気がいることですし、なによりも直接この手紙を母に送ることが恐くてたまりませんでした。
ですがここで母親との線引きをし、けじめをつけなくてはいけないとユキさんから励ましていただき、朗読することができました。
自分の本当の気持ちを相手に送ることが始めて出来た私は、また一つ気持ちが楽になる事ができました。
内容は以下のとおりです。

母へ
私は小さい頃母はとても出来る人だと思っていました。
尊敬する人と聞かれたら私は「母です」と答えてました。
小さい頃から父に対する不満を聞いてきた私は、母は父のせいでひどい目にあっており、とても可愛そうな不幸な人だとおもっていました。
いつか大人になったら私が母を、幸せにしてあげるんだとそうおもっていました。
母の不幸の根源は父のせいだとずっと思っていました。
しかし大人になるにつれて友達と出かけるようになったとき、母は私のやることが気に入らないらいしく、
「出かける事ができていいわね」と、皮肉な口調で私を傷つけました。
貴方はそんなつもりはなかったというでしょう。
でも私は深く傷ついていましたし、そのせいで遊ぶことへの罪悪感を抱え込んでしまいました。
母は出かけられずにいるのに私ばかり出かけて私は悪い人・・・そう思っていました。
そんな風にはみえなかったというかもしれませんが、心の中は深く傷つき葛藤していました。
何故葛藤していたか?
それは嫌われたくなかったから、好きでいて欲しかったっから、愛してほしかったからです。
そんな私の気持ちとは裏腹に、貴方が私に対する愚痴は激しくなっていきました。
その愚痴は父に対するものだけでなく、自分自身に対する葛藤もあったとおもいます。
体力のなさ、人付き合いのむずかしさ、人生の虚無感、しかしそれらのものは私にいってもなにも解決することなく、むしろ私を傷つけました。
私は耐え切れず家を飛び出したことが何回もあります。
覚えているでしょう?あのとき私はファミレスで非難していたんですよ!
貴方の愚痴を、負のエネルギーを受けたくなくて・・・ファミレスで過ごした時間は寂しくて苦しかった。
そしてほとぼりが冷めたかな?と、心配しながら家に帰ったりしていました。
私が一歩踏み出そうとするたび貴方は、私に嫉妬していきました。
私は会社帰りでも顔を合わせるのが苦痛になりました。
今日はいったい何をいわれるんだろう・・・自分の家なのにびくびくしていました。
二人でご飯を食べているときが一番辛かったです。
貴方は不機嫌な顔でこの世の終わりみたいな深いため息をつき、
何もはなせずにいました。
私はご飯を食べても味がわからないくらいびくびくしていました。
唯一の回避方法はテレビをつけることでした。
そしたら母の気もまぎれるんじゃないか・・・テレビは楽しむものではなく、
母の気を紛らわすものへと変わっていきました。
貴方は私が反論するたびに「私は愚痴も言っちゃいけないの?」そう私を責めました。
私は自分の意見も持てずただ黙って座って、愚痴をきくことしかできませんでした。
これは拷問のようでした。
それでも聞いていたのが、私しか聞く人が残っていなかったから?
聞かなかったら可哀想とおもったこと?
聞いたら母は少しは良くなるんじゃないかと思ったこと?
聞いたら兄弟の仲で一番愛してくれるんじゃないかという期待感からです。
愛されたいと思っている相手から、「私なんて死んじゃえばいいんだ!」「私なんて奴隷なのよ!」
貴方の言葉は体の芯から苦しくなりました。
私の精神は崩壊寸前でした。
だから家を出たのです。
もう一緒に家にいるのは無理・・・精神的に耐えられない!
そう感じたから家をでました。
部屋を契約するとき「本当に助けてくれるのは家族だけだ!他人は何にも言ってくれない頼りになるのは家族だけ」そいういいましたね?
しかし実際に世の中に出てみると、母のいうこととはまったく違うことがわかりました。
必死に頑張ろうとすれば助言し知叱咤してくれる方々が大勢いるのがわかりました。
そして今はその方々の本当の愛情が心の支えとなり、頑張っています。
もし私の身近に必死に頑張ろうとしている人がいるならば、
私は多くの人が私に行動で示し教えてもらったように、相手の手助けをしたいと思っています。
母は子供の世話などで忙しくて出かけられないと話していましたが、
今はおかげさまで私も独り立ちすることができました。
引越しやお金の工面などでは本当にお世話になりました。
この場をお借りしてもう一度お礼と、感謝の言葉をおくります。
ありがとうございました。
これからは自分の幸せの為に時間を使ってください。
私が家を出た本当の理由は、貴方の愚痴を聞きたくなかったからです。
貴方の愚痴が私の心にストレスを残し、自分でも気づかないところで他人に向けてひどい言葉で傷つけていたのです。
そのことに気が付いたとき自分が恐くなりました。
今後貴方からの電話やメール手紙に関してそのような内容だと判断すれば無視します。
それではよろしくおねがいします。
今私の周りには沢山の仲間がいます。
それは怖いながらも勇気を出して一歩を踏み出したからだと思います。
母も勇気をだして一歩進み今よりも幸せになることを心より祈ってます。
母を愛する娘より

このような手紙をユキさんの助言によって勇気を出して出しましたが、
その後、父から話があるとメールがきた以外母からは何の音信もありませんでした。
ですが、このように母親と自分をきっちり分けて自分のマニュアルをつくりかえられたおかげで以前よりも、ずっと楽になりました。
カウンセリングにより自分だけのマニュアルを作り変えてもらったおかげで、自分だけの人生を歩めるようになりました。

また朗読のきっかけは、ユキさんが作ってくれました。
エフエムの原稿は毎回ユキさんが書いていて、その原稿に私の詩を「局長が朗読する」と書いてありました。
私は「えー」とあせりながらも、自分のつたない詩をプロのアナウンサーが朗読してくださるなんて、思いがけない喜びでした。
不安は勿論それ以上にありました。
そして朗読当日、局長が私の詩に目をとうしてくださいました。
そこで文章の書き方など教えてもらい、プロの立場で私の詩を手直ししてもらい、一つの作品にして頂き、朗読が始まりました。
初めて朗読をしていただいて、とてもびっくりしました。
ユキさんにもとても誉めてもらって今度は私自身が出演させていただいている番組のなかで「あなた自身で朗読してみないか?」と、進められ朗読させてもらったら、
他の出演者のみんなから「すごくよかったよ!」と、声をかけていだだきました。
その体験が私の自信につながりました。
ユキさんの芸術療法は、素人をプロの中に入れてそのプロの方たちが素人レベルでも馬鹿にせず、一人の芸術家(ごっこ)として認めてくださるから、大きな成長ができるのだと思います。
そして何より、楽しくて、憧れている世界に劣等感を持つことなく入れてくださるから、自分自身が出来た気分になり、その思い込みが良い方向へと向かって行けるのだと思います。
そしてユキさんはしっかりと私のレベルを見ていて、少しずつ本当の芸術家に近づけるように私にあった目標を設定してくださり、私は導かれるまま課題をクリアしてゆきました。
こんな自分でもできたのだから、ユキさんが関わればどんな人でも私のように立ち直れると思います。

定例会でもプロのミュージシャンのユキさん、他ダルメシアンのメンバーにサポートしていただいて、歌や楽器をみんなの前で弾かさせてもらいました。
このようにプロと呼ばれる人たちの中に入れさせてもらいプロのアドバイスが貰えるというのが、岡田式音楽療法で、最初の面接の次のステップの実体験(癖とり)になります。
またストレスがたまらない理由には、ストレスを与えられた相手に恐れず冷静にストレスとなった内容を確かめることです。
それにより相手と話し合って納得するからストレスになりません。
そして互いの誤解も解消できて、新しい「プラスの人間関係」が生まれます。
これもユキさん独自のストレス解決法です。
また定例ライブなどの形で発散できるから残りません。

ユキさんと出会う前の私は、実感できる愛情が欲しかったのです。
その愛情が手に入らないから、もがき苦しかったのです。
ユキさんのカウンセリングを受けてから、本当の愛情は優しいだけではなく厳しいものであり、でもとても暖かいものでした。
そしてただほしいと何もせずに望んでいても手に入らないものだということも知りました。
その愛情を求めることは、実際に行動し、怖い思い(今までに体験したことの無いこと)を一杯しなければいけない事、頑張って乗り越えなければいけないものもたくさんありました。
ですがその努力をしたとき、本当に自分が欲しかった「愛情」が手にはいりました。
でもその愛情ははじめに望んでいた形やうわべのものではなく、人間としての深い愛情が手にはいったのです。
私は今ユキさんとダルメシアンのメンバーから十分過ぎるほどの愛情をもらっています。
ですから母から愛情をもらう必要がなくなりました。
むしろもう少し時間がたてば私のほうから母に愛情をあげることができるのかもしれません。
苦しいことがあったからこそ、ここまでたどりつきました。
今はとっても幸せです。

メインページへ戻る